Thu 29 DhH 1435 - 23 October 2014
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赤ん坊の性別を知ることは、幽玄界に関する知識なのでしょうか。
医師が胎児の性別を識別できることと、次のアヤ(クルアーンの節)(意味の解釈)「また(主は)胎内にあるものをも知っておられる」[ルクマーン章31:34]をどのように調和させることができますか。またムジャヒードのタフシール・イブン・ジャリールでは、ある男が預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)に、自分の妻に生まれてくる子供のことを尋ねたとき、この啓示が下ったことをどのように書いているのですか。クタアダ(かれにアッラーのご慈悲を)はどのように伝えているのですか。このアヤ(胎内の中にあるもの)の一般的な意味を、もっと詳しく説明しているアヤやハディースがありますか。


アッラーに讃えあれ。 この問題を論じるにあたって、クルアーンの中の明確な説明と現実の間に、何ら矛盾がないことを説明したい。現実と矛盾しているように思われるならば、我々が現実とみなしていることが根拠のない主張であるか、またはクルアーン(の記述)が実際に明確な形でこの現実に反していないのである。クルアーンの明確な説明と現実の事実は両方とも明白であり、二つの明白な事柄はお互いに矛盾することはない。 以上の点から、かれら(医師)は正確な装置を使用して、胎内の中にあるものを発見し、男女を識別することができる。医師の判断が間違っている場合は、取り上げて論じる必要はない。判断が正しい場合もこのアヤと矛盾するわけではない。このアヤは幽玄界の事を指しており、次の五つの事象に関するアッラーの知識についてである。胎内に関する幽玄界の事象とは、赤ん坊が母親の胎内に留まる期間、生後の寿命、行い、生きる糧、呪われているのか(地獄行きの運命)祝福されているのか(天国に行く運命)である。そして完全に形作られるまでは、その男女の識別であるが、いったん完成されると性別はもはや幽玄界の事柄ではなくなる。完全に形作られると、可視界のことになる。しかし三つの暗い層に包まれており、それが取り除かれると、その識別が判明する。アッラーの創造物の中で、これらの見えない層を透視し、胎児の性別を識別できる強力な光線があると考えることは、なんらこじつけではない。この節は胎児の性別に関する知識だけを取り上げているのではなく、またスンナも同様である。 質問に関して、イブンジャビールはムジャヒードの言葉を引用している。ある男が預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)に、妻が出産する子供のことを尋ねると、アッラーはこの節を啓示された。この語りはムンガティ(中断された)。なぜならムジャヒード(かれにアッラーのご慈悲を)はタアビイーンの一人であった。 クタアダ(かれにアッラーのご慈悲を)のタフシールでは、まだ完全に形作られていないものに関しては、アッラーだけがご存知であるという意味である。しかしいったん胎児が完全に形成されると、他のものがそのことを知りえる。イブン・カティール(かれにアッラーのご慈悲を)はルクマーン章にあるこの節のタフシールを述べている。「アッラーの他に、子宮の中でアッラーが何を創造したいのかを誰も知らない。アッラーが胎児の性別、不運・幸運を定め、指名された天使と創造物の中でアッラーが望むものがそのことを知っている。」 このアヤ(胎内にあるもの)の一般的な意味の詳しい説明に関するあなたの質問について、もしこのアヤが、胎児が完全に形作られた後の性別について述べているのならば、もっと詳しいことが明白な事実になるであろう。学者達はクルアーンとスンナの一般的な意味をより詳しくする場合の原則を述べており、それはイジュマー(学者の合意)、キヤース(類推)、明確な事実または理性である。この問題に関する学者の解説はよく知られている。 しかしこのアヤは胎児が完全に形作られた後のことではなく、むしろそれ以前のことを述べているため、胎児の性別を知ることと何ら矛盾していない。 アッラーに讃えあれ。クルアーンの明確な表現と矛盾する現実はないし、今後も決して現れない。クルアーンに対する非難はムスリムの敵が、表面的にクルアーンと矛盾することを取り上げ、悪意でもってアッラーの聖典を誤解することによって生じている。しかし、熱心なムスリムや学者達が十分な知識を持って、かれらのもっともらしい主張を論駁する真実を発見してきた。アッラーに讃えあれ。 この問題に関して、人々は両極端または中庸のグループのいずれかである。 一部の極端な人々は、クルアーンの明示された意味に固執し、それに反するいかなる事実も拒絶する。こういった人々は自らを批判に晒すか、クルアーンを批判に晒してしまう。かれらの見解が日常生活の一定の現実に矛盾するからである。 もう一方の極端な人々は、クルアーンに示されたことから目を背け、純粋に物質的なアプローチだけを採用する。かれらも異端になってしまう。 中庸の人々はクルアーンが啓示することと、現実の事実を両方とも受け入れる。こういった人々は、両方が真実であり、クルアーンの明確な表現は十分理解し,目に見えることと矛盾しないことを知っている。伝えられる内容の認証を理性と結びつけ、かれらの宗教的熱心さと健全な知性を保つ。アッラーは意見が異なる中で真実を信じる人々を導き、アッラーが正しい道に望む者を導く。(雌牛章 2:213). アッラーが信仰する同胞を助け、アッラーが我々を導き、そして我々が他のものを導けるように力をお与えください。我々を正しい指導者にしてください。我々の力はアッラーの中にだけあり、かれだけを信頼し、かれにだけ悔い改める。
マジュムー・ファターワ・ワ・ラサーイル・ファディーラト・アッシェイク・ムハンマド・イブン・サーリヒ・アル・ウサイミーン(かれにアッラーのご慈悲を)、第1巻68-70頁