Thu 29 DhH 1435 - 23 October 2014
13019
サラー(礼拝)や正直さによって誓うことは許されるのか
あなたが兄弟に言ったことを「おまえの礼拝にかけて」とか「おまえの正直さにかけて」と言って確認したり、「そんなことをするとおまえは大変なことになる」と言うことは許されていますか。このようなことは女性や子供たちの間で広まっています。どうかわたしたちにアドバイスをしてください。アッラーがあなたがたの善行を報いてくださるように。


アッラーに讃えあれ。 祈り、誠意、深刻な状況、その他創られたものにかけて誓うことは許されない。我々はアッラーに対してのみ誓うべきである。「私の正直さにかけて、これこれを行う」とか「誰それの正直さにかけて」とか「誰それの命にかけて」とか「私の礼拝にかけて」などと言うべきではない。また誰かになにかを頼むとき、「私の正直さにかけて/私の礼拝にかけて/私のザカートにかけて」などと言わせてはならない。このように言わせる根拠はない。礼拝もザカートも人の行為であり、それにかけて誓うものではない。我々はアッラーとかれの属性に対してのみ誓うべきである。預言者(平安とアッラーの御加護を)曰く:「誓いをするものは誰でも、アッラーにかけて誓った後は黙らせなさい。」(サヒーヒ、認証済み)。そして彼(かれに平安とアッラーの御加護を)は言った。「アッラーの外の何かにかけて誓うものは、シルクを行ったことになる」(ウマル(彼にアッラーの恩寵を)、サヒーヒ・イスナードでイマーン・アハマドが伝える)預言者(かれに平安とアッラーの御加護を)からイブン・ウマル(彼にアッラーの恩寵を)によってサヒーヒ・イスナードでアル・ティルミダードとアブ・ダウードが伝えるところによると、「アッラーの外の何かで誓うものは、クフルまたはシルクを行ったことになる。」そして預言者(平安とアッラーの御加護を)曰く、「正直さをかけて誓うものは、我々の仲間ではない。」信仰するものはだれでも、このことを自覚し、アッラーの外の何かをかけて誓ってはならない。必要ならば、「ワッラーヒ(アッラーにかけて)わたしはこうした」と言わなければならない。シャリアで薦められることは、誓いをたてる場合に注意すること、重要なとき以外は誓いを立てないことである。アッラーは説いている(意味の解釈): 「あなたがたは自分の誓いを守れ (容易に誓いを立てるな)」[食卓章(アル・マーイダ) 5:89] しかし必要ならば、「アッラーにかけて、私はこれこれをしませんでした」とか「アッラーにかけて、私はどこそこに行きませんでした」といって、誓うことができる。もちろん言ったことが、真実でなければならない。本当のことを言っているならば、そう誓うことに問題はない。そうする必要があるときにアッラーにかけて誓っているからである。しかし、正直さや預言者(平安とアッラーの御加護を)、カアーバ、誰それの命、誰それの名誉、私の礼拝、私の正直さにかけて誓うことは、上記で説明したように、許されない。そのことを述べたハディースがある. もしだれかが「私を信じてくれ(私に任せてくれ)」と言っても、これは誓いではない。これは私に任されてきたものであり、私に責任があるという意味である。しかし誰かが「私の信用をかけて/私の礼拝をかけて/私の父親の命をかけて」と言うことは、許されない。アッラーの外のなにかをかけて誓っているからである。我々にアッラーの御導きを。
キターブ・マジュモー・ファタワ・ワ・マカーラト・ムタナウィアリ・サマーハト・アルシェク・アルアッラマー・アブドルアジーズ・イブン・アジージビン・アブドッラー・イブン・バー